「不易と流行」
時代によって変わりゆくものもあれば、時代が変わってもかわらない大切なこともある。という解釈を私はしています。
しかし、最近は「不易な」大事な部分に焦点が当たっていないという気がしてならないのです。
ふと考えたことを書いていこうと思います。
流行とは・・・
流行といえば、私は「たまごっち」や「デジモン」などを思い浮かべます。
ポケモンは当時大ブームでしたけど、その人気は世代を超えていまだ健在ですね。
流行とは世間に広く行われ、用いられること。
goo辞書
時代が変われば、存在している人が変わる、人が変われば考え方が変わります。
だから流行は時代とともに移り変わりゆくものです。
今ブームのタピオカなんていうのも流行ですね。「タピる」「タピった」言葉も作るし、タピオカ販売しているお店も激増するし・・・、流行の力ってすごいですね。
そもそもタピオカってなぜ流行ったのでしょうか。
今回の流行のきっかけは「インスタ映え」が一つの要因ではないかと言われています。
私からすると「何がどう映えているのか」わかりませんが、インスタ映えを流行の要因に挙げる見解が多く見受けられます。

おっと、話がそれました。
流行は良くも悪くもその時代の代名詞となりうるものですね。
進化?退化?
世の中は便利になりました。今後さらに便利になっていくでしょう。
これは文明の進化といえるのではないでしょうか。
インターネット、AI技術など。人が考えなくても機会が判断してくれる。そのほうが客観的だから、正確だから。
しかし、「便利に頼りすぎれば自分の生命力が衰退するのではないか」と私は考えています。
スマホが普及しました。便利になりました。しかし視力低下する人が増えました。ネット依存者が増えました。
車が普及しました。便利になりました。しかし歩く頻度が減った結果、運動不足が原因で現代病と診断される患者が増えました。
エアコンが普及しました。便利になりました。しかし熱中症になる人が増えました。
どれも因果関係がある、とは言い切れません。
しかし、便利な時代に生まれ便利に頼った人々は人間が本来持っている生命力を最大限引き出せていないのではないかな、と思います。
今後寿命が延び「人生100年」なんて言われているけど・・・
人間の寿命が100年に延びるかもしれません。でも勘違いしてはならない。それは単に医療技術が発達しただけであり、人間そのものの生命力が高まったわけではないことを。
もちろん、医療技術の進化はすばらしいことだと思います。人類が長い年月と多大な労力をかけて築き上げたものです。
しかし、私は延命措置までして長生きしたくはない、と考えております。
そもそも人生(寿命)とは遅かれ早かれ死はやってくるものであり、その生命の終わりを引き延ばすことはそれほど大切なことではないのではないかと思うからです。
寿命を延ばすことよりも限られた時間で何ができるか、が大切であると考えます。
何をやるにも健康な身体は必要です。
将来、身体補助マシーンも普及するかもしれませんが頼りたくないものです。
だから(できるだけ)毎日運動をやっております。
将来の健康寿命
健康寿命とは「心身ともに自立し、健康的に生活できる期間」とされています。
現代の健康寿命は2016年のデータでは「男性:72.14歳」「女性:74.79歳」となっております。
ここで考えてもらいたいことは「今の老人が幼少期だったころはどんな時代だったか」です。
70年前だと1950年くらいになりますが、当時は今と比べれば体を動かして仕事(作業)していたでしょう。現在の高齢者が子どもの頃は今よりも体を使った遊びが多かったでしょう。また、畑の手伝いなどでしゃがむというしんどい動作をしていたことでしょう。
そんな幼少期、成長期を経て大人になり高齢になった人たちの健康寿命が72~74歳です。※もちろん現代の医療技術により健康寿命が延びている分も含まれていると思います。
便利な時代に生まれ、便利な生活で育った今の若者世代が高齢になったときの(50年後)健康寿命はどうなっているか。
私は現代の医療技術と同等であれば50年後の健康寿命は今よりも縮むと予想しております。しかし医療技術は発展するでしょう。だから結果として健康寿命も延びるのではないでしょうか。
寿命が縮む分は私の言う「生命力の衰退」それを補うのが「医療技術の進化」・・・。
進化ばかりに目を奪われて、不易の部分は影を潜めている。
文章を書いていて、自分の文章力のなさを痛感しているところですが、何となく伝わるでしょうか。
無理矢理まとめ
・LIFE IS BEAUTIFUL.
・LIFE IS PRECIOUS.
・物事の本質を見極めることは難しいが大切である。
・タピオカミルクティーの人気にあやかりたい。
life is wonderful.